写真の説明
この写真は2025年3月14日20時42分に、日本の最北の市町村である稚内市に位置する抜海駅で撮影した写真である。当時の気温は0℃。1月には-20℃にもなる北海道の中では、そこそこ寒いといったところではある。それでも、吹雪となり周囲に遮るものが何も無い抜海駅では、サッカーのコーチが着るような防寒着を着てもまだ寒いほどだった。
 これほどまでに人が集まっているのには理由があった。そう、この最終列車で抜海駅は100年の歴史に幕を下ろすのであった。
 当然、周囲には街という街はなく、稚内市街までは10km離れている。ただ、10kmという数字も北海道のスケールに慣れていると近いと感じるだろう。駅から100mほどのところには2車線道路がある。しかしその分岐のあたりに1本の電灯があるだけで、後は漆黒の闇に向かって道路が伸びているようにしか見えないのだ。稚内は遠く感じる。
ここに集まっていた人々は誰もがその駅の最後を見届けようとしていた。
自分もまた、見られる景色が一つ減ってしまう前に行かなければという思いで見に行った。
気づき
これを通して、気付いたことがある。
過酷な環境下で、強い意志を持った者が、一度きりのイベントを見届けるということ。
→ここに人生の醍醐味があると思う。
しかし、人生の大半の出来事は一度きりではない。過酷な環境にあるという人も少なく、強い意志を持つ人も少ないというのが実情だろう。そのような状況では、生きる意味を見出しづらいのも当然ではないかと思う。
過酷な環境は(北海道に来れば、なんなら離島でも歌舞伎町でも)ある、一度きりのイベント(例えば、旅の出逢い・極端な話、引退アイドルのライブ)も行こうと思えば行ける。それでも、行動に足りないのは「意志」だろう。
今の時代は選択肢や価値観が多くあり、行動を選択できないという考えも見かけるが、例えばYoutubeを見て、まだ感じたことがない・見たことがないけど凄いもの、感動するもの、惹かれるものというのはあると思う。ドキュメンタリー・音楽・映画・歴史・文学・言語など。
惹かれるということ
日本人は「惹かれ」を軽視していると考える。
「魅かれ」を軽視しているというデータは無いが、日本が集団主義的(個人より集団)であることを示すデータはある。
日本はオタクに対して厳しい時期(1989年の宮﨑勤による事件)もあったが、現在はサブカルチャーの台頭で受容は進んできているが、それでも誰もしないことに対しての風当たりは依然としてあると考える。これが、魅かれの芽を潰しているのではないかと考える。
ここで、憧れのPDCAサイクルを提唱したい。思い切って惹かれを実行しようではないか!という考えだ
憧れのPDCAサイクル
1,P(Plan)——憧れの輪郭を描く
・YoutubeやTwitterで夢中になれるものを探している状態。
・wikipediaで実際に調べている段階
・スケジュールを確認し、何日、どこに滞在して何を行うか計画をする。
・他にどんな人が興味を持っているのかTwitterで調べる
2,D(Do)——実際に世界へ踏み出す
・写真を撮影する
・感じたことをTwitterに書き出す
・できる限り、長く滞在をする。
・歩き回る
3,C(Check)——世界の返答を受け取る
・反省を行う。
→もっと暑い服装をすればよかった
→シムフリーのスマホの電波が対応していなかった
→天気が曇っていた
→想像より何もなかった
4,A(Act)——“次の自分”の更新
・また来たいと思えるか?
・何を考えたかなど、後日談をnoteに書く
・言語の練習をする
・次は、もっと他のところに行く
・準備をもっと万全に行う
このようにPDCA化すると、よりワクワク感が出て、成長もすると思う。
この最も重要な過程は、Actであり、これを経て初めて総括をしてこの経験が生かされることとなる。
まとめ
生きる醍醐味は惹かれによって得ることができる。しかし、日本では軽視されることがある。だから、思い切ってPDCAを少しずつ回せば、次に進んで魅かれを現実のものにでき、人生をより豊かにできる。
参考文献
気象庁サイトより、当日の稚内の気温 https://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/view/10min_s1.php?prec_no=11&block_no=47401&year=2025&month=3&day=14&view=
  
  
  
  
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